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●住吉村史より |
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弓弦羽瀧(一名龍王山大瀧叉、稲妻の瀧とも称す。)
兵庫県師範学校附属国民学校(※1)の下にある瀧で、写真は其水害(※2)以前の物で現在は水量少なく其形も著しく変わっている。昔は此瀧を最大なるものとして上流と下流とに合わせて十二瀧あり、徳本上人は此を行場とされたとの事である。一般里人の中にも此瀧に打たれて行をしたり、叉は病気平癒の祈願を籠める者が少なくなかったとの事である。上人寺第六代住職宏譽上人は、此地方一帯を甲南園と称し庶民の心身鍛練の道場として開拓されようとせられたが、事成らざる内に逝去されたとの事である。今日の赤塚山森林公園の前身とも称すべきで、上人の着眼に敬服する次第である。
瀧の入口に朱塗の稲荷式鳥居があり、夫に龍王山大瀧の額が揚げられている。渓流に沿って約一町余進むと瀧が有る。上手が開拓されて目下水量は多くはないが、数十尺の絶壁から真下に落下する水は成る程打たれて行をするに格好である。
絶壁に白山大権現の石像が厳かに立って、常に水に打たれていらっしゃる。左上手に石碑あり其文には、
富山守護諸天善神之霊
白山大権現
最上位経王大菩薩
鬼子母大善神 華光
妙見大菩薩
嶮瀧天皇
とあり瀧の右にも白山大権現、白瀧大権現等の文字を刻した石碑がある。叉道の左側にも黒住大権現、水永大明神、白長大権現、黒川大権現、山十六天大神、堀大明神、霊長大権現、厳島大明神、村佐目大明神、宮本大権現、曽我五郎大明神、曽我十郎大明神等記した石碑が立並んでいる。此等は何れも大正時代に出来たものが多い様で、以て信仰の盛で有った時代を想定する事ができる。今は水害で瀧壷も埋まり著しく以前の形相を損してはいるが、絶壁の上手に生い繁る樹木や渓谷を取り囲む山系の迫る所を見ると、今尚一種の神秘的な気持ちに成るから以前に於いては龍王が棲むという伝説と共に、信仰家の精進する禊場所として蓋し適当であった事と察せられる。
(※1)神戸大学発達科学部附属住吉小・中学校 (※2)昭和13年7月5日の阪神大水害 |
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